[出張報告]
Syn : 身体感覚の新たな地平2023.12.08

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2023年11月12日まで虎ノ門ヒルズTOKYONODEで行われていた「Syn : 身体感覚の新たな地平 by Rhizomatiks×ELEVENPLAY」を鑑賞して、興奮冷めやらぬメンバーで語り合いました。
※デザイナーたちの自由な解釈であれこれ語り合っています。ネタバレあり。
※画像の撮影/掲載可ということで、メンバーが撮影した画像を掲載しています。

<以下公式サイトより引用>
TOKYO NODEのオープニングを飾るのは、真鍋大度・石橋素が主宰するライゾマティクスとMIKIKO率いるイレブンプレイによる新作 "Syn : 身体感覚の新たな地平"。
地上45階、天高最高15m、総面積約1500平米ものTOKYO NODEの巨大展示空間の精巧な舞台美術の世界に、体験者自ら足を踏み入れ、それぞれの物語を選択していく本作は、インスタレーションでもあり、ダンスパフォーマンスでもあります。体験者は観客でもあり、参加者でもあり、目撃者にもなるのです。

没入をつくる仕掛け

松村:入口で案内してくれる人が実はダンスアクターでしたね。一言も発さずに身振り手振りで案内してくれて、どこから始まりかわからない。入口からもう面白いです。

小川:僕も誘導が素敵だと感じました。演技を区切るような感じはなく、流れで誘導しているのが面白かったですね。

吉岡:虎ノ門ヒルズ内の会場へたどり着くまでのルートも素晴らしく演出されていて、あそこにダンスアクターの方々がいても良いと感じました。エレベーターガールだとか、会場の外から同じ衣装を着た人がいると、より日常のハレとケがスーッと移り変わる感じがあると思いました。

松村:エレベーターを何回も乗り継いで細い通路を進み、迷い込む感覚があります。

人が生み出す緊張感

松村:最初の部屋は、ブルーと白を基調とした研究室。ここに座ってくださいという誘導で、ダンスアクター達の反対側にある白い台に観客は腰掛けます。パフォーマンスが進むと、その台にダンスアクターが登って舞台になります。自分たちと演者が隔たれていたのが、どこも安心して座って見られる場所じゃないと気づき、不安を感じました。それが没入のスイッチになって、僕はグッと入り込めました。

吉岡:どこまでが舞台でどこまでが席なのかが途中から曖昧になっていくのがすごく楽しいですよね。舞台装置の中で見ている感じ、舞台の上に上がらせてもらってみている感じですよね。舞台裏がないっていうか。ダンスアクターとコラボし始めて、装置を触って映像が反応するというよりは、人がインターフェースになって作品に介入していく形が増えてきたなと思っています。

小川:途中の演出で、演者が懐中電灯のような手持ちのライトを使って演出する部分がありましたが、ライトも固定式ではなく手持ちなのが良かったと思いました。ダンスアクターに合わせて瞬時に動かせたり、誘導指示に使ったりしていましたね。

吉岡:ライゾマティクスさんが演出装置を置いて、インタラクティブにリアルタイムに対応しながら、ダンスアクターが適材適所に、タイミングを見て、うまく作られていくというのはありましたね。

石川:目の前でパフォーマンスが作られていて、再現性のないものを見ている、ということがすごくドキドキしました。

吉岡:1回性という意味では、ライゾマティクスさんがリオ五輪の閉会式や紅白歌合戦のステージ演出などで場数を踏んでいるからこういうことができるのかも。臨機応変に対応することで、毎回少しずつ変わっている可能性もありますね。

石川:デジタルで完結した作品だと、自分と切り離されている感じがして、ある意味安心感がありますよね。反対に今回みたいな、目の前の人が今この場で作っているものだとずっと緊張する。すぐ近くを通るし、邪魔しちゃわないか怖いみたいな、自分が関与しうるドキドキ感がある、それが見ているときの高揚感に繋がっていた気がします。

松村:すごく心を揺れ動かされます。どこで見ればいいのか、戸惑いから始まって、1回性ということもあるし、一瞬一瞬見逃せない緊張感とか、次何が起きるんだろうという期待感とか、いろんなものが混ざりながら常に楽しい状態が続いていきます。

現実と虚像の共演

松村:次の部屋では3D眼鏡をかけて鑑賞しますが、個人的にすごくやられました。手持ちのライトで演者を照らしているのですが、このライトが2眼ですよね。光を縦と横の位相でずらして、3D眼鏡を通じて見ると、照らし出された影が立体的に見える、という現象が起きます。演者と演者の間に影が立ち上がり、夢か現実かわからない視覚が広がる。影の踊りと、人の踊りが立体的に絡み合い、音と混ざり、混然一体となる。不思議な体験でした。この場で体験しないと、なかなか伝わりにくい。
3D眼鏡ってこんな使い方があるんだとびっくりしました。

時間軸の表現 ディメンションの融解

小川:二つ目の部屋に入ったときに、最初は小さい舞台なのかなと思ったら、後ろの壁が動き始めて、部屋がどんどん広がっていって。すごく広い長細い空間だったんだなって最後に気付きました。

松村:同じ空間に観客のグループを2つ同時に入れる意図がありましたよね。観客は前進しながらパフォーマンスを見ていきますが、入室して20分後くらいで後のグループが入ってくる。途中まで気づかないんだけど、動く壁で2つの空間に隔たれて、両側で少しずつ時間をずらしながらパフォーマンスが繰り広げられる。

吉岡:手前が今で奥が未来だとしたら、20分前に入った人たちは未来の方にいて。入口から入った僕たちは今にいるんだけど、途中で1回小窓が開きますよね。あの時、一瞬鏡なのかな?って思ったんですけど、実は向こう側に人がいて。壁のスキャンする映像も巻き戻ったりしていたじゃないですか。空間が時間軸的に仕切られていて、未来の方から過去のほうに戻っていくときに映像も巻き戻されていたと思うので。そこに時間を感じるような動かし方とか演出の仕方、でそれを一回鉢合わせるようなタイミングを作るっていうのも面白いなって思いましたね。

梶田:小窓が開く以外にも 一瞬、未来を垣間見る演出がありましたよね。背後から床を叩く音がして振り返ると、隣の部屋の演者が上半身だけ幕の下から出ていて。それって一つ前のグループのステージの一部がこちらにハミ出しているんですよね。自分がその未来に行ったときに、これの裏側が向こうから見えていたんだと理解して、その演出が結構衝撃的だったというか、未来を垣間見た感じがしませんでした?未来を見るなんてことは現実では絶対できないんだけど、それを見た感じがして、ドキッとした。

松村:最初は気づかないですよね。違和感を持ちつつ、パフォーマンスのひとつとしてサラッと流しちゃうんだけど、後半のパフォーマンスを見て実は未来を垣間見ていたことに気づく。説明はせず、自己解決していくストーリーは没入しやすいし、心に響いてきます。

梶田:時間差で来たっていうのが大きいかもね。その場では気づかないんだけど、一旦間を空けてから伏線回収するからグっとくる部分がよりあったのかなと。

松村:よくできた映画の中に入ったみたいな気持ちになりました。
あと、全体を通して「溶けだす」感覚が使われていると思いました。いまと未来の時間軸、こちらとあちらの空間、実体と虚像。すべてのディメンションが融解した状態を「いま体験している」その感覚に興奮する。

吉岡:舞台と客席、未来と過去、空間と時間、現実と虚像が溶けあう。

メディアアートのバランス

吉岡:いわゆるメディアアートみたいな小難しい形ではなくて、でも映え狙いだけでもなく、すごくいいバランスでやっていたなあと思いました。ハイカルチャー詳しい人しかわからない、というものではなくて。

松村:現代アートや展覧会を見にいくと難解なものが多いですよね。わかる人だけわかればいい、という姿勢が潔いと思う一方で、体験として未消化になってしまう鑑賞者も出てきてしまいますよね。Synはエンターテインメントの部分も強く意識されている。万人がわかる、体験を楽しめるということだと思うんですけど、そこだけをやると消費されやすい、どこにでもあるようなものになってしまう。その綱引きが常にあると思うんですけど、こんなに良い結び方があったんだと感動しました。

成長の演出

吉岡:今回のメイングラフィックのタイトルの黄色い線が壁、円形のデジタルとリアルっぽい世界がSyncしているような表現になっているんですかね。真ん中に木の根っこみたいなものありますね。これはなんだろう?

Syn : 身体感覚の新たな地平 公式サイトより引用

梶田:たしかに木の根っこに見えますね。成長という感じ?
こうして動画を見返すと、演者のダンスが変化してますよね。最初の部屋では静的な感じだったけど、だんだんとエモーショナルになっていく。機械的な動きから、より人間的な動きになっている。
生まれたてのアンドロイドが学習を完了してないからたどたどしいんだけど、ストーリーの展開と共に学習が進み動きが滑らかになり、最後はプロダンサーのように柔らかいアクロバティックな動きをしていて。成長している、進化していっている、みたいなのもあるかもしれないですね。

吉岡:おもしろいですね。僕いま鳥肌立ちました!

吉岡:ダンスアクターがアンドロイドになったらこれは成立しないんですかね。生身の人間がアンドロイドを演じているから進化が表現できる。今だからできる表現ですね。

日本らしい表現

梶田:東京という土地柄もあって僕の回は海外の方も結構来ていて、なんだか誇らしい気持ちになりました。日本はこういものが創れるんだぞって。僕が創ったものじゃないんだけど(笑)
テクノロジーとアートの組み合わせ方が日本っぽいというか。僕はダンサーの方の顔ばかり見ていて、その表現がすごい良かったんですよね。たどたどしい人形のような感情のないものが動いている様をダンサーの方が丁寧に表現されていた。それも含めて、最初の部屋に一歩足を踏み入れたときの世界観の伝え方が日本のカルチャーっぽい。日本と言えば、京都や奈良に代表される和の雰囲気ってあると思うんですけど、これも日本的だよなって、誇らしい気持ちになりました。

松村:茶室の見立てみたいな文化も感じますよね。白い箱、白い空間など扱っているものはシンプルな造形だけど、いろんな意味を持たせて演者が動いている感覚は日本的だなって思いますね。ラスベガスだったらもっと巨大な装置を作って、わかりやすい動きをいろんなところに散りばめるような気がしますけど、そうしない。

梶田:空間を細く、狭く区切って見せるのは日本的な感じがしますよね。何万人も入るホールじゃなくて、人数も絞ってグループに分かれて鑑賞するのもそうだし、エンタメとしてみたときに日本らしさを表現している。しようとしたのかはわからないけど、日本人が考えた結果なのかもしれないですけど。

小川:壁を超えるときに橋にみたてた大きな三角形もそう思えますね。

松村:橋を渡る、越境していく、この世とあの世、みたいな感じがあります。移動式で組み上げられていくのも日本的だなと思いました。伊勢神宮の式年遷宮のような。アートディレクターの原研哉さんも言われていましたけど、縄で空間を仕切ればそこが神域になる、みたいな考え方が日本ってあったりする。何もないところに作って、また消えていくというのが、日本っぽい美意識とか神様のとらえ方を感じますね。

梶田:お寺とかで入ってはいけないところに結界として石をそっと置いてあるだけのところもありますよね。たしかに伊勢神宮をお参りするときの雰囲気と似ているところがあるかも。鳥居をくぐって橋を渡って五十鈴川を横目に歩いていく感じ。

吉岡:それを地上54階でこの展示をしたのがすごいですよね。ある意味、サイトスペシフィックではないというか。この装置とこの人たちと空間のスペックさえあればどこでもできる。窓空けているところもなかったので。

梶田:ぜひ輸出してほしい!

吉岡:するんじゃないですか。このメンバーでまた観にいきたいですね!