ライフビジョン2024.07.31

ライフビジョンは自治体と住民をつなぐ情報プラットフォームサービスです。初めての方にお伝えする時はあえて分かりやすいように電子回覧板という言葉を使うこともあります。ITの強みを活かし、ワクチン接種や乗り合いバスの予約、お年寄りの見守りなど暮らしの様々なシーンで役に立つ機能を備えています。デンソーは2014年からこのサービスの提供を始め、今年で10年が経過しました。現在は80を越える自治体でご採用いただき、その輪は広がり続けています。今日はそんなライフビジョンの開発に初期から関わっているデザイナーの視点から、製作秘話をお話しします。

地方が抱えていた課題

地方に行くと町中に屋外スピーカーが立っていたり、各ご家庭に戸別受信機が置いてあることをご存知でしょうか。これらは災害時の緊急放送など、命に関わるお知らせを住民の皆様に届ける大切なものです。しかしこのプロジェクトが始まった2010年代初頭、多くの自治体で既存システムの老朽化が問題となりはじめていました。

先の東日本大震災ではそれが顕在化しました。例えば山間部では放送の聞き損じが起きたり、沿岸部では最後まで役場に残り放送で避難を呼びかけた職員が津波の被害に遭われてしまうという事が起こったのです。このような問題をシステムの刷新(デジタル化)によって解決し、新たな価値を創出することが私たちの出発点でした。

実は私自身、生まれが福島県ということもありこのプロジェクトにはとても強い思い入れがありました。事業部のメンバーにもかつて阪神淡路大震災を経験された方などがおられ、案件開始当初からチームに結束感があったと記憶しています。

はじまりはスピーカーのデザイン

プロダクトデザイナーとしてこの案件に参加した私は、戸別受信機という既存の機器をどう改善するかという視点で取り組みをはじめました。以下が当時展開したアイデアになるのですが、現在私たちが提供している最終的なソリューションとはまったく違う姿であることが分かると思います。そのように至った経緯を説明したいと思います。

プロジェクトの転換

地域が抱える課題の本質を捉えるため、とにかく現場で見ること、聞くことを大事にしました。ライフビジョンの開発メンバーは非常にフットワークが軽く、分からない事があればすぐ現地に出向き、住民のお宅へ上がり込み気付けば親戚のように仲良くなっていたり、町長さんと気軽に話を聞ける関係を築いていたりするなど、とても頼もしく、情報を足で稼ぐ姿勢は学ぶことばかりでした。私も様々な出張に同行させていただき、ある時は三重の山の奥、ある時は瀬戸内海の島々など、日本の地方の多様な暮らしを目に焼き付けたことを覚えています。

ある時出張先で、開発メンバーと共にホテルの会議室に缶詰状態になりながら、寸劇をまじえた議論を交わしていました。今の言葉でいうとまさにUXの検討ということになると思います。例えばメンバーの一人がおじいちゃん役、私が職員役になりきり、放送される情報がどのように伝わるかを模索しました。おじいちゃん役が「あ?いまなんか言ったかね?」と聞き逃したり、聞いたことを忘れたり。ちょっと野良仕事で外へ出たタイミングで聞き逃してしまったり、そういうことがあるときに届けられない情報がたくさんあるということに気が付きました。結果として、耳が遠い方々や情報のキャッチアップが難しい方々にも届けられるよう、リアルタイムの放送だけでなく、録音機能があった方がいいことや、文字や画像を組み合わせて情報伝達にセーフティネットの考えを取り入れるべきなどの方向性が固まっていきました。

サービスのありたい姿が見えてきた頃、世の中に浸透してきたのがタブレット端末でした。当時はガジェット好きの一部の方々にしか触れられていないアイテムでしたが、この大きな画面であればおじいちゃんやおばあちゃんにも情報を届けられるのではないかと私たちは考え、それがプロジェクトの大きな転換点となりました。

情報機器というハードル

最新の機器を高齢者に使ってもらうというアイデアに対して、当然ながら社内では否定的な意見が多くあがりました。しかしそれらは私たちが方針を変える材料にはなりませんでした。その頃すでに私たちは社内の誰よりも田舎の暮らしとそこに住む人たちの実態に精通し、エキスパートになっていたからです。社内で声が上がるより早く、私たちは多くの高齢者のお宅にタブレットを持参し実際に触っていただき、必ずすべての方が使えるようになるという確信を得ていました。

しかし決して簡単なことだと甘く見ていたわけではありません。私たちは2つの柱が大切だと考えていました。
1つめの柱は分かりやすさを徹底したUI。デザインによって達成する課題です。
2つめは操作に慣れて頂くためのサポート。人による支援の部分です。
この二つのいずれが欠けてもこのサービスは実現しないというのがメンバーの共通認識でした。

分かりやすいUIの追求

私たちにはナビやメーターなど、自動車に関わる分野でUIデザインをしてきたバックボーンがありました。文字の大きさや画面内の情報量、階層数や遷移設計など、UIの骨格を作る部分で共通する考え方が多かったのは良かった点です。

また普段電子機器に触れていないお年寄りの方にとって、苦手意識を取り除いてもらうことも非常に大きな課題でした。そこで私たちは地域の広報誌や手帳、カレンダーなど、なじみ深い現実世界のモチーフを画面デザインへ取り入れることで、親近感や操作に対する直観の誘導を作り込んでいきました。

デザインだけでは足りない

新しい製品やサービスを世の中に生み出すとき、どんなに良いデザインやUIを仕上げてもそれは道のりの半分にも満たない。というのが私の感想です。現在、多くの高齢者ユーザーにライフビジョンを使っていただけており、結果として80を超える市町村で採用に至っているのは、人の力による継続的な支えがあったからです。
自治体への導入にあたっては営業のメンバーが先陣を切り、住民への操作説明会を開催してくれました。自治体の職員さんにもご協力いただき、命に関わりうる大切な情報から、誰一人取り残されることがないよう熱心に説明していただきました。
またコンテンツによる面白いブレイクスルーの事例もあります。使い方の説明をしてもやはり抵抗感があり、難しく感じたり、触ることを恐れる方もいます。そこで、「らくらくタップナンバーズ」というゲームを導入しました。これは、数字を順番にタップして、何秒で完了できるかを競うだけの簡単なゲームです。説明を始めると、参加者はワイワイと盛り上がりながら、ゲームのスコアを自慢し合います。難しいことは避けがちですが、楽しい活動には積極的に参加する傾向があるようです。

地域コミュニティへの影響

ライフビジョンが提供を開始して10年、良い意味で私たちが想定していなかった使い方が生まれている事例もあります。タブレットはライフビジョン専用の仕様で配布しており、文字入力機能が不要な設計になっていますが、文字入力がなくてもコミュニケーションを取る事例が見られます。手書きで紙にメッセージを書き、それを写真に撮って投稿し、やり取りをしているケースや、野菜や果物をいただいたときのお礼をする場合などがあります。また、自治体の職員から機能のアイデアが提案され、それを実装すると非常に人気のあるコンテンツになることもあります。例えば、地域の小さな町の商店のライブカメラを流すコンテンツを実装したところ、多くの人が視聴し、地域の皆さんの外出を促すきっかけにもなっています。仕様を作成したりサービスを開発する中で、思いもよらなかった使い方が出てきて、非常に興味深いです。

 未来への展望

新しい仕組みが社会に実装され、実際にユーザーに使ってもらうまでには多くの年月を要し、様々な方との関係構築が不可欠です。現在のライフビジョンの普及は10年にわたって取り組みを続けてこられた事業部の皆さんの努力によるものです。私はデザイナーとして開発時期に主な役割を果たしましたが、この仕事に継続して携わりたいという思いから、個人的にWEBサイト用のイラスト制作やノベルティグッズのデザインを手掛けてきました。ライフビジョンを通じて日本各地の地元食材とコラボし、社員食堂のメニューに提供する企画などもあり、その際は楽しみながらポスターの制作なども担させていただきました。

もともとライフビジョンは地方課題の解決ということもあり高齢者ユーザーを前提としたUIでしたが、今後は政令指定都市などの大規模な町にも進出していきたいと考えています。若者が多い地域ではスマホ版の需要が高まるため、古くなってきたUIを刷新する新プロジェクトが始動しています。